行く河の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消え、かつ結びて、
久しくとどまりたる例なし。
鴨長明作、有名な方丈記の書き出しです。
流暢な出だしですが、
内容は、冒頭からいきなり無常観から入っています。
私は、この、
人生や社会のはかなさや
移ろいやすさを綴った格調ある文章が
とても気に入っていました。
確か、
高校のときの授業で習ったように記憶していますが、
この「方丈記」という書物は
思春期の私に「世のはかなさ」を
しっかりと刻み込んでくれた、
かなり影響力の大きい書物でもあります。
この授業を受けた直後の高校2年の時、
私は大病を患い、
自分の生命の灯火はいつまで持つのか?
と、いう不安と恐怖の中で、
辛い現実に直面してしまいました。
そんな中で、
この無常を説く書物からは、
「生命のはかなさ」についても
随分と考えさせられましたが、
難しいことはさておき、
「今を一生懸命に生きていこう」という、
どこか「刹那的な感覚」も与えてもらいました。
時間が経過し、
久し振りに「方丈記」に目を通すと、
その人を取り巻く環境が変われば、
本の解釈も随分と変わるものだと気付きました。
改めてこの本を読むと、
二度と戻る事が出来ない時間の不可逆性を
河の流れに例えているとも解釈できます。
「時間」とは、
定量的に経過していく「量的な時間」と
内容によって
自在に伸縮する「質的な時間」があると思います。
「量的な時間」は、
地球上の命ある生物が唯一、
公平に得る事ができます。
地球上の生き物は同じ瞬間を共有しています。
これは生ある者が均等に得られる、
掛け替えのない財産でもあります。
これに対し、
「質的な時間」とは、
「量的な時間」が、
価値のある瞬間として生み出された時間の
積み重ねであると考えます。
河の流れに、ただ流されるか?
河の流れに挑んでいくか?
方丈記の中で
「時間とは生きること」という言葉が出てきます。
「量的な時間」の中で生きるということは、
時間の流れの中で、
何となく「生かされている」ということ。
「質的な時間」の中で生きるということは、
明確な意思を持って、
価値のある瞬間を「生きる」ということ。
約30年前、
生命の終末と向き合い、
残された時間との戦いを経験したことは
価値のある瞬間を大切に「生きる」という、
貴重な気付きの機会を与えられたと思います。

